夢見る涙には わずかな野望がきらり
あれだけやっても食中毒とか出てないんだから「丈夫で長持ち」を“売り”にすればよかったのにねぇ…赤福
って
突然何を言い出すんだ、ってね(^^;
さて
書く書くと言いながら書かない日が2日を越えると結局書かない…ってのが昔からの自分のパターンなんですケド、
今回の℃-uteの音楽戦士についてもそんなカンジになりつつある…カナf(^^;) ポリポリ
なんでそうなっちゃうかというと、やっぱり時間が経てばそれだけ多くの他の方々が同じコトに関して書かれているものを見てしまう中で、人と同じものを書く意義を見出せなくなってしまったり、だからと言って自分を偽って人と違うものを書き上げても本末転倒だし…って、そんなカンジで「書く意欲」が霧消してしまうってことなんですよね。
ただまぁ、そんな中で
今回の“℃-uteの音楽戦士”
「これだけは」何か書いておきたいって気持ちが残っている部分が一つあるので、その件に関してちょっと、書いてみたいと思います。。。
放送そのものは既に℃-uteへの愛情を基本備えているコチラ的にはもう手放しでニヤニヤで受け入れてしまうし幸せにもなれるものだったワケですけど、
やっぱりイチバン心を引かれた部分は、ほぼ及第点にまとめられていたと思われる
「℃-uteの長く険しい道のり」
キャプいっぱいでの詳細ははアチコチあるんで
コチラは大雑把にはしょっていきますケド・・・ヾ(・_・;) オイオイ
とりあえず
舞美ハァ━━━━━━;´Д`━━━━━━ン!!!!
・・・じゃなくて(^^;
2002年のキッズオーデから2004年のBerryz工房デビューを経ての2005年6月℃-ute結成の流れから栞菜加入もありつつ
ベリはメジャー活躍、℃-uteはインディーズという対比を挟んで
2007年℃-uteメジャーデビューという流れをね、
途中オモシロエピソードを交えつつ?ヲタ目線でも概ね納得のいくカンジでまとめたその「3分」の後
そして、先にデビューしたBerryz工房のメンバーではない、余った(by梅さん)メンバーであるという℃-uteの位置づけ−
Berryz工房のコンサートを℃-uteのメンバーで見に行って、「悔しかった」「ボロ泣きした」というエピソード。
これがまだ℃-uteではない時期の出来事なのか、℃-uteであって尚なのか、って部分で印象は大きく違いますけど、
仮に前者であるとするならば、Berryz工房というユニットの成り立ちがハッキリと「選抜メンバー」であったことを考えれば、
それに「なれなかった」非ベリメンバーがそれほどまでに「悔しかった」事実は理解できる話しですね。
まあ、ベリにしてもそれがユニットである以上、決して実力的な上位メンバーを選抜したわけではないのは明らかではありますから、
【選に漏れた】=【下位にランクされた】ってワケではないんですけど、
「選ばれなかった」立場からすればそんな見方は慰めにしかならなかったでしょうし、ね。。。
やっぱり本人たちの中にこそ、一番「敗者感」ってのがあったんだろうなと思います。
それであるからこその「悔しさ」がそこにあったんだろうと。
まぁ、マイマイは
だったらしいですケド(^^;
つまるところ、℃-uteってグループの根底にはその「悔しさ」ってのがずっと息づいているんだろうなって思うんです。
だからこそ彼女達は、今℃-uteであれることを心底喜びそして楽しんでいると思えるし、
だからこそ彼女達が、こんな気持ち悪いヲタヲタした自分たちの声援に返してくれる笑顔を本物だと信じることが出来るんですよね。
って、いや、
ベリのソレを信じれないって言ってるワケじゃないんですケド(^^;
そちらはそちらでね、まだまだ右も左もわからないような時にユニットメンバーに「選ばれた」故の苦労があった中での月日が彼女達の心を磨いてくれていると信じられます〜ってコトなんで、と。
ただやっぱり、その決定的敗北があったかなかったかって部分で、Berryz工房と℃-uteは大きく違うんだろうなとは思います。
どっちがどうとかいうことではなくあくまで「違う」というだけですけどね。
今現在きっちり等比重でベリキューヲタやってる(つもりの)自分としては、
この℃-uteの敗北感に相当するなにかをBerryz工房に…ってのは思わないこともないですけど…まぁ、それはまた別のお話しですね。。。
ちなみに、
℃-uteがごくごく最近のベリコン、それこそ春のSSAトカを観て悔し泣きとかしていたら、
それはそれでその負けず嫌いっぷりには感動すら覚える…ってモンなんですケド…
さすがにそこまで最近でそんなコトはないかなぁ…うん。