きらめくようなあなたの姿 抱きしめて生きていけます
折角の日曜日でしたが、8割方寝て過ごして夜を迎え、気付けば日付すら変わっていました(^^;
梨華ちゃんご出演の堂本さんの番組トカ見たかったんですけど完全に見逃しての午前1時頃、ふと目覚めるとなんか聞いたことある歌が耳に入ってきまして…
って、その曲は『21世紀まで愛して』じゃねぇか!
って、時東ぁみが歌ってました。
中野のライブですね、コレ。フジ721をつけっぱで寝墜ちしていたようです。
それにしても、やっぱり侮れないヤツだな、時東(^^;
『21世紀まで愛して』
1986年3月21日発売の水谷麻里のデビューシングル。
タイトルの通り「21世紀まで愛して欲しい」という願いをこめて、作詞:松本隆、作曲:筒美京平、編曲:船山基紀という最高の布陣で作られた最強のデビューシングル。
歌詞の中に「14年後の2人の未来」とあるのが、1986年の14年後=2000年であることから、2000年から21世紀とカンチガイして書かれた詞ではないかという疑惑が浮上したことは今は昔…
ってぇか、20年も前の話しになっちゃうのか…
やっぱり紺ちゃん生まれてない頃の話しじゃん<(; ^ ー^) マイッタマイッタ
デビュー前年くらいから、事務所の先輩アイドルと共にラジオレギュラーを勤めたりという前宣伝活動の期間を設けていたのは当時のありがちなパターンで、その水谷麻里さんのことを、そんなカンジのデビュー前の時期から結構気に入っていた自分は、デビューしたら応援しようと決めて、デビュー後もレコード買ったりイベント行ったりしていて、まぁ所謂好きなアイドルの一人でした。
にもかかわらず、
その水谷麻里さんが、その後2〜3年の活動期間で引退したとか、某漫画家と結婚しただとか、そんな話しは随分と後になって知ったのが自分でもあったりしてるですよね、実際。
まぁ、田舎の高校生だった当時の自分には、TVに出なくたったアイドルを追いかける術なんかなかったってのもあるけれど、
それ以前に、その頃の自分ってアイドルを好きになるコトそのものには積極的だったんだけれど、1人に対してそんなに深入りしないようにしていたカンジもあるんですよね。
それはやっぱり、その水谷麻里デビューの日から2週間ちょっと後の1986年4月8日に起きた出来事が、自分のその「深入りしない距離感」を確定していたのは間違いないですね。
1986年4月8日。ホントに深く心を注いでいた「アイドル」との突然の「辛い」別れという体感。
大きな傷となったその体感からの見出した自己防衛としての、「必ずくる別れの辛さ」からの逃避。
たとえは悪いけど、「死に別れる辛さがイヤでペットを飼わない」みたいな感覚。
思えばそんな自分が、その翌年に生まれた女の子にこんなに深く心を注いで、そしてそのコとの別れの時をカウントダウンしている現状ってのは、ある意味信じられないってカンジでもありますが、
あの1986年4月8日以降、対アイドルに限らず、もっと身近な生活の中でも、深く他人を愛することを避け生きていた自分がいて、それは10年を越える時間の流れの中で多少は薄められてはいたものではあったけれど、確実に変わってきたのはモーニング娘。との出逢いと、紺野あさ美との出逢いがあったからなんだろうなぁ、うん。
こんなにも、紺ちゃんのことを想えている今の自分は幸せだと思うし、だから別れは寂しいけれど、その人と刻んだ時間の想い出を大切に生きていけることは辛いことではないとも思える。
今はそんな気持ちでいられる自分になっています。
これを成長といえるのかどうかはわかりませんケド、ね(^^;