この間 ヘンテコな夢を見た おばあちゃんが出てきて 弱った僕をおんぶしてくれて 悪い奴らをやっつけた その翌朝 仏壇に手を 合わせて お礼を言って そこで世界がクリアに見えた
あぁぁ
ももプレ3の予約すっかり忘れとったぁぁ…
って
それほど残念にも感じてない自分に危機感w
さて
数日前から公開になってますコチラ−
ピーベリーさんの「キャベツ白書」
メジャーデビュー盤ってことでの改めてってカンジでの「春編」ですけどね
まぁね
「故郷」挿入の微妙感はハンパないカンジではありますが…
ってか
せめて児童歌唱だったらまだよかったのかな?
とも思いつつね
でも
この曲の殊更なまでの良曲感といいますか
何回聞いても泣ける感ってのは異常なまででね
自分の涙腺決壊具合も止まるところを知らないって具合ですが
ま
自分がこれだけこの曲に泣けるってのも
自分自身が「おばあちゃん子」だったってのに起因する部分もあるのかもしれません
いかんせん
物心ついた時にはすでに母子家庭だった我が家にあって
母親が仕事に行っている間の自分の世話はすべて母方の祖母=おばあちゃんがやってくれてましたからね
なんてったって
おばあちゃん子の定番の思い出
冬に花火やりたいって無理言っておばあちゃんがあちこち探し歩いてくれた−
なんて思い出が自分にもあったりするくらいですから相当なもんですw
年寄り故のジェネレーションギャップの果てで
時には「死ね」とか暴言吐いても
笑顔で受け止めてくれたもう天使のようなヒトでしたけど
孫に対するおばあちゃんてのはどこもそんなもんなんでしょうか−−−
そんな自分のおばあちゃんは
小学校高学年の頃にはもう入院生活に入り
1年だか2年だかの入院の果てにそのまま病院であちらの世界へ旅立っていきましたけど
何故だか自分は
その最期の時も病院に看取りにいくこともしないまま
永久の別れを別れとすら感じないレベルで受け入れてしまったまま今に至るわけです
けどね
看取りに行かない以前に
入院後期の1年の程はほとんど見舞いにもいかない不孝行極まりない孫だったのが自分なんですが
だからこそ
おばあちゃんの「死」ってのは自分の中で永遠に不現実な部分もあるんですよね
だから
葬式の時も泣かなかったし
悲しいって感情すらあったのかなかったのも定かではないレベルなんですが
なんてぇのかな
その最期の時すら立ち会わなかった自分ってのも
現実を不現実のまま流してしまいたい自己防衛の果だったのかなと
今では思ったりもしています
いや
そんな上等なものじゃないのかw
おばあちゃん…
ばーちゃんね
やっぱり
ちょっとは孝行しとかなきゃいかんかったかな…