毎日の楽しみがある 女の子だもん 昇ってく太陽のように 明るく

a33com2008-10-20
从・ゥ・从<ヒデキ観劇
ノk|‘−‘)<ヒデキって誰?



いつものように

蒲田宿泊で朝一羽田発で帰熊しての午後から出社。


そんな自分を見るにつけ

「せっかく東京行ったんだから一日楽しんでくればいいのに」

ってなことをおっしゃるちょいご年配の方々ってのは必ずいらっしゃるんですが
目的を終えた後の自分なんて東京にいたってすることないんだよな、コレがw


実際東京行っても

空港→(ハロショ)→会場→宿→空港

って行動がデフォの自分なんてのは、一般の感覚でいうところの「東京旅行」の認識からは大きく外れているんでしょうねw



とはいえもう4日後には中国に旅立つ身としては実質慌しい日々でもある中で、
取り急ぎこの過ぎ去りし週末の体感を想い出に変換しておきたいわけですが、
何分ここまで書くのに幾度となく寝落ちてるほどの状態なので(〃_ 〃)ゞ ポリポリ
ほんとにとり急いだカンジに
とりもあえずは10月18日の℃-uteの「ゲキハロ!」の感想のようなモノを−


多分ネタバレありなんでご注意を・・・


と言っておいて


と、




そうね


3列から見上げた小宇宙の絶景具合を封印して、お芝居として、舞台劇としての感想を語るなら、正直自分の嗜好にはフィットしないものでした。


それは決して「つまらなかった」と言ってるわけではない・・・ってゆーかむしろ面白かったんだけれどね。


ただ、自分は苦手なんです。主義主張のある「芝居」ってヤツが。
多くの場合においてその主義主張ってのが自分的に納得できないのに、その芝居の上ではそれが正論になったり、あるいはそれをむやみに無遠慮に問題定義として押し付けられたりして終るからね。


だから自分は相対としてはちょっと気持ちがよくない観劇で終ってしまった感があります、と。
まぁ、結局は℃-uteが好きで観に行った客でしかないから致し方なしなんでしょうけど。


だからホントに前半部分の℃-uteメン中心で動いてる間はすごく楽しかったし面白かったしではありました。

が、

そうね後半

前半の℃-uteが目立つ面白い部分とは少し軸がずれた部分で物語の核心が動く後半。



なんだろうね。


携帯のない時代には確かに野次馬は事故現場の写真は撮らなかった。
けどね、野次馬やってる時点で同じことじゃんってのがあって、そんな時代の野次馬が普通にカメラを身に着けていたら、やっぱり写真撮ってたヤツはいたと思うよ、と。
所詮は野次馬なんだからね。
その「野次馬」って言葉はいったいいつからあるんだって考えたら、結局「人間」ってのは元来そんなもんなんだよってことに行き着くんです。
携帯とかインターネットとかそんなもんの普及で人間の本質が変質されたわけではないでしょうってね。


勿論コレはあくまでオレ個人の考え。


芝居を観た観客として、その感想の一端としてこんなチラシの裏にでもそれを書いている時点で、それが芝居の目的を満たされているのならそれはそれでいいのかもしれないけれど、それはオレ的には決して「楽しくはない」よな、ってコトです。はい。



ただまぁ、
それでも、
舞台上でありながら演者たる℃-uteの7人が傍観者になってしまうその物語を通して
それぞれの役がその世界の中で感じた以上に、本人たちがその物語から何かを感じてくれるのならそれはそれでよいことだとは思っています。


そしてそれが彼女達の演技にフィードバックされていくなら、この物語の中でのそれぞれの成長は着実にメンバー個々へのリアルな成長として帰化されることでしょうから。。。


うん。


つくづく自分の捻くれ具合は損だとは思いますよ。
もっと気を楽に観れたら、楽しく面白いお芝居でもあると思うんですけれどね。


7人の個性付けってのも実にイイし。
ただ欲を言えば、舞美が普通であることが舞美ヲタとしては物足りないというかなんというか・・・
キャラ付けの面だけでみるとやっぱり、舞美が普通であることで他のみんなのどこかしら普通ではない部分が活き活きと舞台上で弾けていた感じだったからね。
その意味ヲタ的には、コンサの寸劇のスポーツバカな舞美の方がよっぽど観てて楽しいってのはあるかな、とかも思ったり。


ま、その分ね、
最も中心として異軸の物語にも踏み込んでいるし、きちんと芝居を要求されてもいるし、演じてもいる。
そんな舞美を観れたのは素直に良かったとは思っています。
そして何より、そんな舞美がこの先あと何度もこの演技を続けていくという事実がそこにあるのなら、毎日でもそれを観たいと思ったってのも正直なところです。


って、
その意味ちゃんとヲタ視点も成立はしてるんだなw


だから、せめて終盤にもう1公演でも観たいってのはやっぱり思ってしまうこと。
そしてそれが成立し得ない事柄であるのは決定事項であるのが現実。


その自分的「終わり」が
ここからがはじまりに転じるのかどうかといえばどうにも絶望的であるのが癪ではありますけれど///