悲しみなんかない世界 愛をあきらめたくない どんな涙もかならず乾く

a33com2008-08-10ル ’ー’リ<平和



8月10日−


今日は何の日?


「宿の日」「健康ハートの日」「帽子の日」・・・


語呂合わせばっかじゃん( ロ_ロ*)ゞ カキカキ



まぁ、あの人の誕生日でもありますけど、今の自分には特に言うこともないんでスルーということでw



そんなところで、
今日もまたぞろ暇な休日を無駄に消費してしまった1日だったワケですが、
暇な時間の中で細切れにアレコレやってた中で、ここ数日御無沙汰していた「エッグ系ブログ」のチェックとかまとめてやったんですケド−


その中でちょこっと気になったのがコチラ
モリサキちゃんのブログ昨日8月9日付の記事冒頭−

2008/8/9 Saturday

『今日はなんの日??』

☆長崎に原子爆弾が投下された日☆

この間は広島で
今日は長崎…

2回も投下されたなんて
どうしてそんなこと
するのでしょうか…。

現在の平和な日本に
生まれて
よかったです!!!


風化させてはならない歴史
冒頭できちんとそれに「触れる」ってのはえらいな・・・というか、いい歳こいてそれをやってない自分が情けない(つД`)


ただ、
このモリサキちゃんの文面にはちょっこっと気がかりな部分もあって−


原爆のハナシ

この間は広島で
今日は長崎…

2回も投下されたなんて
どうしてそんなこと
するのでしょうか…。

どうしてなんでしょう・・・ってかね、この「どうしてそんなことするのでしょうか…。」が非常に被害者的で気になったのです、自分。。。


どうしてそんなこと「された」のかって歴史的部分を見れば、日本って国は100%被害者ではないと自分は思っています。
もちろん、だからって原爆投下という悪行が正当化されてしまうのは間違いだとは思ってはいますが、それでも、日本という国はただ「原爆を落とされた」被害者になってしまってはいけない国なハズなんです。


加害者意識と被害者意識では、明らかに後者の方が長生きするもので、
それこそ世界にはその被害者としての恨みつらみを後世に伝えていくことに意地になっている国もあるくらいで、
その意味でいけば日本って国はまだまだ被害者になった理由についての自戒を忘れてはいない国だと思ってはいます。


ただ、このまま時が重ねられて、悲しい出来事が不幸と悲劇として後世に伝えられていく中で、
何故そうなってしまったのかの部分が抜け落ちていってしまうと、
わが国日本が「原爆を落とされた」被害者としての部分だけを語り継いでしまう過ちを犯してしまわないかとちょっと不安になりました。


まぁ、ね

現在の平和な日本に
生まれて
よかったです!!!

って想いをしっかりと心に刻んでいてくれるなら、それで大丈夫だろうとは思うケド。



悲しみが繰り返されないようにすることは大事なこと


だけど


その為に未来に伝えていくべきことは悲しみだけじゃないんだよね。