幸せは 明日にめぐり逢う力 信じる強さをいつも BELIEVE 胸に抱いて
3月20日
ビッグコミックスピリッツ発売日
いつもより早く家を出てコンビにへ寄る。
と言っても、うちから会社までの間にはコンビニがないから、実質完全な遠回りの寄り道で近所のセブンイレブン。
入ってスグに雑誌コーナー。
( iдi ) ハウー
紺ちゃんが並んでました。縦に3列くらい。
なんかねぇ、もぉ、有り得んと思った。
朝のコンビニで。
感動。
「なつふく」の時
紀伊国屋の写真集コーナーにズラリ紺ちゃんが並んでる光景を見たときもグッとくるものはあったケド、
もっとさ、
現実的日常の景色であるコンビニの雑誌コーナーに
もはや非現実に差し掛かった自分の部屋でこそ日常である紺ちゃんの笑顔が
当り前のように並んでたんだよね。
こんな光景が見れる日がくるなんて…
思わなかったトカそーゆーこと以前に考えもしなかったってゆーかなんてーか…
別に紺ちゃんの魅力を侮ってたり見くびってたり軽んじてたつもりはないケド
それでもやっぱり、こーゆー光景を目の当たりにすると、
あの紺ちゃんがここまできたんだな、って
嬉しいし、誇らしいし、気持ちもいいし
少し、寂しいし。
紺ちゃん自身はどーなんだろうね?
紺ちゃんのことだからコンビニには毎日通ってるんじゃないかな、なんて思っちゃうケド、
もし、そーだとするなら、
やっぱ当然、この自分が表紙になってるスピリッツが棚に並んでる光景って目にすると思う。
嬉しくて自分で見ちゃったりするのかな?
棚の最前に表紙が見えやすく並べちゃったりする?
それとも…恥ずかしくて他の雑誌の背後に隠しちゃうかな?(^^;
とりあえず、買って帰るかな?
って、ね
まぁ、アレだ
たかが週間マンガ雑誌の表紙になっただけで何騒いでるんだろうなオレ、とも思うけど、
こーゆー他愛も無い感動の積み重ねが
紺ちゃんを見続けてここまできた自分の幸せの成分なんだと思う。
だからって、
昨日のスポフェスみたいな大きな感動を見逃してるオマヌケさの罪状は拭えないケド、
でもね
朝のコンビニの雑誌コーナーの前で涙ぐんでた自分は間違いなく幸せだと思った。
こんな幸せ有り得んと思いながらもね。
とりあえず1冊買って、会社行って。
スピリッツは車の中に残したまま、特に中身は見もしないまま1日仕事してたケド、
今日は1日、すっげぇ、心、満たされてた。
2時間残業して、帰り道も遠回りして朝と同じセブンイレブン。
朝は10冊以上はあったスピリッツが1冊になってた。
その現状を認識した時に、なんかしんないけど、その1冊を手にとってレジに向ってた。
そーゆー行動で満たされる精神は明らかに真理からはずれてるハズなんだケド、
まぁ、そのくらい大目に見てくれ、ってカンジかな(^^;
つぅか、ね
このコを好きでよかったな、って思う。
それも、
つぅか、それが、
幸せなんだな、多分。