素顔でニュートラル!
ブログ全盛の昨今、
ようやく登場した「モーニング娘。のブログ」【http://plaza.rakuten.co.jp/morning2005/】は、あくまで文化祭ガラミのある種のエコエコプロパガンダで、
そのエコ一辺倒な内容はぶっちゃけ本当に本人が書いているのかすら疑いたくなるモノになてしまっている残念杉な状態ですケド、
その意味において
紺野推し的には非常に心地良い提示が続いている、携帯サイトポケットモーニングの「紺野あさ美のガッタス日記」がこの9/27付けで更新
2005.09.27 「ある日の事」 日記ってどんな風に見えてるんだろぉと思って、今日サイトの方カラ読んでみたんですょ 書いてる時って気づかなぃ何かがあるかもなぁんて思ぃながら…。。 したらなんだか読みづらかったぁッッ 字いっぱぃ詰めすぎって思ったので、今後ゎ改行を心掛けよぅと… あと絵文字もちょぃと減らそぉ… …もとが絵文字・長文大スキなコなもので… どぉもスイマセン(笑) 紺野あさ美デシタ
まず、
今年の3月よりスタートしたこの「ガッタス日記」ですケド、この時点まで紺ちゃんが自身でサイトアクセスして見たことがなかったというのが、ちょっと意外なカンジでした。
自分の書いたものがどんなカタチで世に出ているのか、って、結構気になる事柄のような気が個人的にはするんですケド
その辺マイペースな紺ちゃん的には、あまり気にならないことだったんでしょうか?
その紺ちゃんが、サイトアクセスを思い立った理由が
書いてる時って気づかなぃ何かがあるかもなぁんて思ぃながら…。。
ってのはもう、なんともスバラシイ「視点設定」だな、と。
そんな感じに、自分を客観する視点を設定するのは結構難しい事だから、ね。
その意味では、今の自分たちの日記やブログみたいに、書いたものがダイレクトに公開されて、自分自身もほぼ書いた直後にその姿をみてしまう状態は、その客観視点を失いがちなのかもしれないな、とは思います。
むしろ紺ちゃんみたいに、ふと思い立ったカンジで過去に書いたものを眺めてみたときに、初めて見えてくるモノってのはあるのかもしれません。
そんな紺ちゃんが発見したモノが
したらなんだか読みづらかったぁッッ
だったりするのがなんともかんとも愛くるしいんですケド(#^.^#) エヘッ
特にこの「したら」がなんかたまりませんわ ノ(´д`) ヘヘヘ
方言なのかなんなのか、この紺ちゃんの特徴的な言葉回し。他にも「なんも」とかありますケド…
って、そんな話しではなくって(^^;
この期に及んで「読みにくい」って自分で思ってしまう紺ちゃんがたまらなくイトオシイよね、ってカンジ。
いやまぁ、ぶっちゃけ読みづらいには同意なんですケド、
受け手としてはもう、その「読みづらさ」にすら愛情を感じてしまう域に達している段階じゃないですか、今となっては。
それもひっくるめて「紺野あさ美らしさ」みたいなモノがそこに感じられるから、みたいなモンで。
そこに今、紺ちゃん自身に
今後ゎ改行を心掛けよぅと…
あと絵文字もちょぃと減らそぉ…
トカって反省とかされちゃうと、逆になんか寂しいカンジがしてしまうんですよね。
紺ちゃん自身が向上心をもって、自己の形骸のスタイルをより良き物にしようと思考している事実は喜ばしいことであるし、そういう発展思考を持てる紺ちゃんであるって部分は尚更持って好意的に受けとめるべきことである、ってのもわかってはいるんですケド
それによって、今まで素顔を見せてもらえてたのが、もうよそ行きの顔しか見せてもらえなくなっちゃうんじゃないか…って
不安にもなるし、寂しくもなってしまうんですよね、紺ヲタとしては。
ただまぁ、ね
そんな不安も、この日のこの「ガッタス日記」の最終行
紺野あさ美デシタ
を絵文字付きで見れば、一気に吹き飛んでしまうんですケド(*^ω^)
実際のところ、「改行」に関してはちょっと前から少し気を使ってるカンジが窺えますんで、
実際紺ちゃんがサイトで確認したってのはもう少し前の話しなんじゃないかって気もするんですが、
そうであるとするなら、「絵文字削減」って部分はそれほど顕著でもないカンジで今まできていますカラ、
まぁ、結局
愛すべき紺ちゃんらしさ、ってのは今のままであって欲しいヲタ的欲求ってのは
押し付けるのは忍びない歪んだものではあるんだけれど、
今のところ、楽観してても大丈夫なのかなぁ、ってカンジで楽観してはいます。
なんてったって、紺ちゃんだから、ね(o^<^)o