晴れわたる 空 雨のシズクは 虹になって 風になって 青空を 思い出させるんだ

a33com2009-01-10ル ’ー’リ<永遠のアイドル



3連休初日。


ホントになにもすることがないのでなにもしないでいたらホントになにもしないまま1日が終わってしまった。


そんな1日でしたw



そんな本日はハロコンエルダークラブ公演の初日ということでしたが、完全スルー予定の自分でもありますからサクっとセットリストを拝見しまして・・・


うん、特に「コレは観たかった」と思うものもないという時点で、エルダー完全不参加という自分のスタンスは間違っていなかったと一安心。


いやまぁもちろん会場に入っていればそれはそれで楽しめたんだろうとは思うんですケドね。
例えば今からチケオクって大阪とか名古屋で観ようなんて気にはならないな、と。


結局自分は今、薄情なほど過去を切り捨てて未来を求めてるクチだから。
懐古や回顧は自己的には必要範囲にはあるけれど、それに対してアクティブになる気はないなというとこです。ハイ。



と、
そんな自分を再確認してる側から、ふと目にとまった記事−


 ▼マイタウン茨城 「現」 多様化の波にもまれ(2009年01月10日)


エルダー公演の初日であるこの日に、去る2日にワンダ公演の舞台に立ったきっかを主軸した記事を出すコトに他意はないとは思うのだけれど、
その記事の視点や内容はある意味エルダークラブそのものへのあてつけにもとれ・・・るってのは強引だなw



きっかがフューチャーされた新聞記事といえば、あの茨城新聞が記憶に新しいわけですが


未来への希望に満ちた先の記事に対して、
今回出たこの記事は未来への不安を焦点にした記事になっているのがなんともアレです。

期待に胸を膨らませる一方で、「ミルキーウェイが終わったら、その次に何かあるのか分からない。不安です」と語る。

この辺なんかリアルすぎるくらいだしね。。。


確かに、どう考えてもいつまでも続くとは思えない「MilkyWay」ですから、その先は何も約束されていない中で表舞台に立つことは逆に不安を駆り立てられることなのかもしれません。


あのお正月の中野のステージ。
MilkyWayのときに限らず、バックダンサーでしかなかった時間でも十分に光り輝いていたあのきっかの、その大きいケド小さい胸の中に、そんな「不安」が押し込められていると思うと、なんだかちょっと切なくなってしまいます。


そんなきっかの不安を受けて

やたらめったら「付加価値」を求められ、商品の回転が速まるばかりの現実にもまれながら、吉川さんはレッスンから帰宅した深夜、畑に囲まれた自宅の庭先で一人、発声練習を繰り返す。

と、
なんだかちょっと物悲しく締め括られたこの記事。


某所で拾ったリアルな新聞掲載画像によると、ちょうど見開きのようなカタチで横に来る記事がなんともまた示唆的に配置されている模様で−

 ▼マイタウン茨城 「現」 城之内早苗さんから新成人へエール(2009年01月10日)


「アイドル」の世界の夢と現実を狭い空間に閉じ込めたようなこの「現」なる空間に凝縮された需要と供給の現実は、ある意味自分とエルダークラブ・・・はては自分とモーニング娘。にそのまま置き換えられるようなカンジで、なんだかとっても身につまされもすれば罪悪感も感じるんだけれど・・・


ただ、客体ってのは元来ワガママに無責任であって許される存在のはずだからね。
永遠をその手に掴めるかどうかはソチラ次第−ってのが結局のところなんだと思います。



きっかに限らずのエッグメンバー・・・ベリキューにしろ、娘。さんたちにしろ、彼女達の今は決して未来を約束してはいない「今」


それが現実であったとしても
いやさソレが現実であるからこそ
彼女たちは「今」を全力で生きている


その「今」の輝きの眩しさに未来を感じる自分が、その未来に対して永遠でいられないのはある意味矛盾することなのかもしれないけれど、


でもね


先のことはわからないからこそ、今見えている未来の眩しさは信じていたいというのがホンネです。


永遠を誓うことの罪悪は身をもって体感した自分だからこそ

自分はもう彼女達に対しては「今」を更新し続けることしか約束は出来ないンだけれど


そう、だからこそ


眩しく輝く彼女たちの「今」を、一瞬たりとも見逃したくないという想いで彼女達を見守っていきたいというのが、今の自分のヲタとしてのスタンスである、と


それだけはね

ここに明言しておきたいなと思います。。。