失くしたものすべて 愛したものすべて この手に抱きしめて 現在は何処を彷徨い行くの

a33com2007-11-01
ル ’ー’リ<めぐる季節
川o・-・)<めくる暦



11月1日。


暦をめくったら泣けてきた。



こうしてみると、℃-uteのメンバーみんな「変わったな」と思う。


まぁ、撮影時期から考えればもうともすれば1年半は前と思える写真。
当然「成長」していてしかるべきなんだけど、単純に「変わった」という単語を使う方がしっくりくるほど見た目に変容が見られるカンジ。


ただ1人、「今」を知らない彼女を除いて。。。


自分の中での彼女は止まったままになっている。
1年前から。



2006年の11月1日。


仕事から帰ってPCオンしていつものようにweb世界にダイブして…目の前が真っ暗になったあの日。


例えばその更に半年前。
帰宅してスグに紺ちゃんの「卒業」を知った時は、驚きの後にはとにかく必死に動き出すことを考えた。
悲しみとかなんとかそんな「感情」よりも、来るべき日に向けて動くことを第一として慌しさに追われ、ある意味「感情」は二の次でいられた。
やるべきことが、やれることがあったから。


しかし
1年前のあの日はもう、そこに出来ることは何もなかった。
その別れはもう過ぎたこととしてそこにあったから。
もう2度と逢えない現実だけをイキナリ突きつけられたから。


だから、あの日の虚無感は今もって霧消する機会を得られないまま燻っている。



確かに、あの日以降、自分の中の彼女は確実に大きくなっているなとは思う。
「お前ホントにそこまで彼女を好きだったのか?」と聞かれれば、自信を持ってYESと答えることは出来ない。
あの時のリアル以上に自分の中で彼女が成長して自分を追い込んでしまっているのかもしれないとは思わないこともない。


でもこの切なさは真実。



一方で今目の前にいる7人の℃-uteを好きな気持ちも1年前から大きく成長している。
ただ、その時期が℃-uteにとっての変容期であったと同時に自分の対℃-uteの面でもまだまだ出発に近い位置だったから、
今の℃-uteが100の満足をくれても、彼女という喪失感は永遠に補完されない。
そう、7人の℃-uteに何一つ不足はなく不満もないけど、彼女を忘れることは出来ないという心の二層構造が成立している感じが今の自分。


本当は忘れてあげるべきなのかもしれない。


少なくとも彼女の人生は自分とは無縁の所でもう1年を数えているのだから。

いつまでも時を止めておくことは余りにも非生産的愚行に他ならないから。



それでもきっと忘れることは出来ないと思う。


だから


想いを眠らせることだけが
今の自分にできる唯一の行動なんだろうとは思う。


℃-uteの7人だってきっと忘れてはいないはずだから。
きっとみんなの心のどこかに彼女はいるはずだから。
そんな7人が、今の自分に幸せをくれる℃-uteなんだから。


そんな7人の℃-uteを、彼女も見ているはずだから。



・・・・・・・・・・・・めぐぅ(つД`)