華やいだ祭りの後 静まる街を背に

a33com2006-08-28

 

川o・-・)<魂の物語



今朝、ホテルをチェックアウトして、駅までの通り道ってコトでコマ劇場前を通ったら
リボンの騎士 ザ・ミュージカル』の看板の撤去作業が行われていました


今日からはもう、コマ劇場周辺も本来の姿に戻っていくのでしょうね。



さて、
そんな歌舞伎町の今など既に遠い地のことでしかないってカンジで、既に熊本の我が家へ帰宅している自分です。


27日朝移動でミュー観劇2本でオフも含んで新宿泊まり。
翌日である本日は、「紺ちゃん卒業したら行かなくなるだろうな」トカ言ってたハロショを普通に巡ったりして後の帰熊となった東京遠征。
めぐのソロ写真に留まらず℃-uteのセットまで購入トカって危機的状況が現実のものになったりもしつつ
でも、レシートに「コンノ」の文字がないはワンダコンの写真は万が一に備えて友人に発売後スグに買ってもらってたカラですよ、あくまでね。


と、この辺あんまり詳しく書くとヤブヘビなのでサラリと流して(^^;


今日のところは、ミュージカル千秋楽トカ麻琴の「卒業式」トカ、そーゆー部分でのレポまがいとは違うトコロで、最終日ではあっても自分にとっては初見であった、という意味での『リボンの騎士ザ・ミュージカル』の「初見の感想」を書いてみたいと思います。



ネタバレ回避を徹底した甲斐もあって、全くの予備知識がない状態で臨んだ最終日の昼公演。
7列の中央ちょっと右寄りという、そこそこいい条件で見れたということも手伝って、ここで観たもの聴いたもの感じたものは、本当に驚きと感慨と感動に満ちていました。


自分は「芝居」トカ「ミュージカル」トカ、そういったものって、なんか食わず嫌いなところがあって、今まで殆ど見たことがありません。
だから、これがミュージカルとしてどれほど「本格的」で、どれほど「本物に近い」のかわかりません。
しかし、少なくとも、今まで自分が見てきた「モーニング娘。のミュージカル」というジャンルとは違う、所謂世間一般でいうところの「ミュージカル」という土俵に上がって勝負したモノであることは感じ取れました。


モーニング娘。石川梨華美勇伝)でのスタートではまだまだちょっと違うかな?程度だったダケに、直後の“ホンモノ”箙かおる宝塚歌劇団専科)の登場で正直度肝を抜かれたりして(^^;、そこで、あぁ、やっぱコレは違うんだなぁ、と感じたり。
そんな序章を越えて、「物語」が進められていくにしたがって、高橋“サファイア”愛が改めて凄いと評価する必要すら忘れるほどに普通に凄いコトをこなしている姿に愕然としつつ、石川“フランツ”梨華が、上手いとか下手とかって物差しをへし折るパワーで「スゴイ」ことに驚いたり、
三好・岡田両名も含んで、自分のよく知っているハズ少女たちが、自分の知らない世界を構築している現実にただただ唖然としてしまった、というカンジ。


そして何より、それでありながらも、自然に「物語」に引き込まれている自分もそこにいたらしく、
それは、結構物語が進んだ頃に藤本“ヘケート”美貴が登場した時に、はじめてそれまで「みきてぃ」が出ていなかったことに気付いたって自分にも象徴されているようで。
それでいて、登場したかと思ったら“ホンモノ”に負けず劣らず全てを【持っていく】パワーの「歌」を投げつけるカラ恐ろしいみきてぃなんだけれど、そんなみきてぃに引っ張られるように後半になるにつれ勢いを増していく吉澤“大臣”ひとみとかもね、もうただただ「スゴイ」って、呆然としてました、自分。


相対としての「物語」の成立具合にはホンノ少し納得もいかない部分も実はあるんだけれど、
ハッピーエンドの手前にある悲劇できちんと涙が滲んでいた自分がそこにいるんだからそれはもうどうでもいい次元の話だね、うん。
大団円の後のフィナーレに軽く違和感を感じたのは単なる経験値不足だろうからさしたる問題ではないし。


ただ、麻琴が中心になっての「青空がいつまでも続くような未来であれ」が成立した幸福が、この最終日の「特別なもの」であったということを後から知った自分であるというのは、唯一ネタバレ回避を徹底した所以の不幸だったのかもしれないかな?


結局は圧倒的なものを提示されてぐうの音もでない自分がコマ劇場にいたのが昼公演の終演後でした。


ソレほどまでに、コレは凄かった。
なるほどこれは、早い段階で見ようものなら、その後何回でも見に来たくなるシロモノだわ、と。


過去のミュージカルと呼ばれたものから比すれば、かなり長い準備期期間があったと思われる今回の「リボンの騎士
それでもきっと、目指すところから逆算すれば長いとは言えない期間だったに違いないんだけど、きっと普段の活動の中で、物事を短期間で身につける術というのが、娘。さん達はかなり鍛えられているんでしょうね。
みんなホントに、素人目には十分本格的なものをこなせているように見えました。


かてて加えて、本とか演出とかも、固定の1役をもったメンバー以外も複数の役をこなすなかにきちんと見せ場を与えて「脇役感」を中和している部分が見事であったり。
その意味でも、舞台にいた全てが必要な演者であった見事な「舞台」だったと思います。


昼公演見終わった自分がイチバンに抱いた感情は「後悔」
「14日のチケを簡単に手放すんじゃなかった」という後悔。


そして
唯一「負のベクトル」っぽく抱いてしまう感情は紺ヲタとしての想い。


この素晴らしい舞台を紺ちゃんにも経験して欲しかった。
この素晴らしい1ヶ月を、仲間と共に作り上げていく感動と経験を紺ちゃんにも味わって欲しかった。


そして
この素晴らしいミュージカルに演者として存在する紺ちゃんを見たかった。


実際公演を観るまでは、紺ちゃんのいない「9人のモーニング娘。」の姿を見ることが自分にとって1番つらいコトになるかな、と思っていたけれど、
それ以上に、このミュージカルそのものが恐ろしく高次元に成立していて、そこにいるモーニング娘。が、果てしなく高品位にスキルアップしている現実そのものが、紺ヲタである自分を紺ちゃん共々置き去りにして遠くへ行ってしまったような寂しさを感じさせて、辛かったです、実際。


ソレも多分、このミュージカル自体が進化する過程を見ずに、最終型を見てしまった所以の疎外感なんだろうから、それもまた身から出たサビで自業自得なんだろうけど…ね。


続く最終公演の観劇を経て、ここで感じた感動と悲哀は、共にその質量を増してしまうのは幸か不幸か、ってカンジなんだけれど、
きっとそれもこれもひっくるめて、今回のミュージカルがミュージカルとして、舞台として、素晴らしいものであったが所以なんだよね。


まちがっても、「アイドルがここまでできる」とか、そんなベクトルで驚くつもりはないけれど、それでもやっぱり、ここまでのものがそこに成立した事実には、素直に「驚いた」というのが率直にしてイチバンの「感想」ですね、ハイ。






ただし、、、、、コレは『リボンの騎士』ではないよ、うん。
もちろんそのこと自体に何も問題はないケド、ね。