未来を変えよう 過去は過去

「該当者なし」の余波というのか


雨後の竹の子以下の便乗犯的に
5期・6期のメンバーについてアレヤコレヤと好き勝手言いやがる輩が目に付く日々が続いている。


現状の5期・6期が総じて個性が弱い的な認識が、それこそ矢口さん辺りからもそれを臭わせる発言があったことで一気にオフィシャル化しそうな勢いを持ってしまった感もあるんだけれど、
実質的なことを言えば、5期も6期十分個性的なコ達である事は、彼女たちがモーニング娘。になれたような人材である事実からも押して知るべしだし、
ちゃんと彼女達に目を向けてさえいれば、それはおのずと見えてくる部分であるのは間違いないコトです。


と、断言できるよ、と。


モカカワラズ、それが今、世間に浸透していない、というのが現実であるのは、
彼女たちがどうのという事ではなく、「モーニング娘。そのもの」が、広く一般に理解できるシロモノではなくなってしまっているってコトなんだよ、ってこと。


つまり、今、5期や6期の彼女たち自身がいかに奮起してみても、所謂一般層と呼ばれる客体に対してその魅力が波及する土壌が既に無いのは、彼女達の罪ではないし、彼女達の力では打開できない部分での障壁なんじゃないんですか、ってこと。


勿論それでも、それを打破しないことには未来は開けていかないから、
そこにある危機感を肌身に感じて邁進する彼女たちを期待する事は吝かではないんだけれど、
そこで無責任に彼女達に「頑張れ」と言い放ってしまう事は、自分には出来ない、というのが今の気持ちだったりする。


今にして思えば、「LOVEマシーン」の「ヒット」という出来事は、大局的にはただのバブルでしかなかったと言い切っても過言ではない状況で、
バブルの夢を再び望む事は根本的部分を蔑ろにしているって部分では愚の骨頂だと思えるのは、
キモヲタがいなくなることで一般客がライブにきても、そんなライブ空間が良質に作用し得ないのは、物見遊山の客が大挙していたバブル期のライブ空間を思い起こせば容易に想像できるのと同じ事で、


だから自分にできることは
血反吐を吐きながら、彼女たちと並走することだけです、と。


いかにもまとまりが無いケド、ようはそーゆーコトなんです、ということで、ね。


まずは自分が、どれだけ客体として覚悟完了できているか、ってことが前提条件なんじゃないんですか、ってコトなんだよね。


相手に望むのはそれからでしょうが、と。